娘1の中学受験日まで10日を切りました。
受験組の生徒の中には、12月からもう学校には登校しない子や、
平日は夜遅くまで、土日はお弁当を2つ持っての塾通いをしている子もいますが、
娘1は……2年連続の皆勤賞を目指しているため、休みなく登校し、しっかり部活もし、
冬休みも色んな行事を楽しんでいました。
一応、週2で塾に行っていますが、受験のための塾ではなく、
一つ一つを深く知り、しっかりと身につけることを方針とした塾。
模試なんぞもありません。
「そんなんでいいの?」と思われるでしょう。
たぶん娘1の受験の目的は、不純なのかもしれません。
普通、受験する人は「まずは○○中学に合格したい!」から受験するわけです。
かたや娘1の場合は、合格が目的ではなく、
“深く勉強すること。それにより勉学に楽しみを感じること”が目的の1つでした。
でも、人というものは甘い方に行くもので(特に娘1はさ!わかるでしょ?)、
何か目標がないと、なかなか動きません。
だから、受験させようと思ったのです。
受ける学校、これがヒジョーに難関でして……
6年生になってから「受験しよう!」なんて思った娘1には、とても太刀打ちできません。
まだ終わっていないのに親がこんなことを言ってはいけないのですが、
結果が×でも、それはそれでいいです。
×だったことを、ちょいの間、落ち込む。
私なりに頑張ったよね…と、自分をナデナデする。
じゃ、次の高校受験、頑張ろ~かと、顔を上げる。
彼女がどう感じるかはわかりませんが、何かを感じるはず。
“一つの新しい経験をして、何かを感じる”
それが受験のもう1つの目的です。
さてさてどーなるか…?
今となっては、風邪やインフルエンザにかからず、元気に受験日を迎えて欲しいのみ。
不純であるけれど一応受験生の母…として、感じることが多々あります。
難関中学受験の参考書の問題と、学校のテストや宿題の問題を比べ、
「これが本当に、同じ6年生の問題なのか?」と。
今に始まったことではありませんが、そのレベルの差は、どんどん増しています。
塾は商売です。
お客が満足するよう、受験のノウハウに至るまでみっちり教えます。
(ただ…目的が達せられれば、教えられたことを忘れるお客は多いですが…)
そして学校は、勉強のみを教える場ではありません。
受験に必要のない科目も教えるし、団体生活の中、社会で生きてゆく力も教えます。
(それらを教えられない教師もいますが…)
双方にそれぞれのよさがある。
でも「高い学力を身につけたい」と思っても、
よほどの天才でなければ、今の学校の勉強だけでは到底無理。
学校では教えてくれないことはあまりにも多く、それが受験問題だったりするのですから。
そのためには塾に通わなければならず、
そして、経済的に余裕がなければ、塾代は払えません。
学力の格差=経済力の格差?
じゃ「義務教育って何なんだよぉ~」と思ってしまうのですよ…
子供たちは皆、公平に教育を受けられる権利があるのだから、
その教育の中身も、もっと公平にするべきだとね。
学校現場の先生方は頑張っていると思います。
理解力の早い子もいれば遅い子もいる…
やにむに学校教育のレベルを上げることも難しいのでしょう。
また、高い学力をちゃんと付けさせている学校も中にはある。
でも多くは「賢くなりたい人は塾に行けばいい」と、どこか塾に丸投げしている教育システム。
その代表が「ゆとり教育」と言うのなら、そうなのかもね。
ゆとり教育とは、まるで塾を儲けさせるためのシステムみたい。
「大きくなったら、人の命を助けるお医者さんになりたい。
でも…医学部に入るには、お金がかかるよね…だから僕、無理だね…」
そんな子供たちが大勢いることでしょう。
学校教育をなんとかしないとヤバイです。
と……不純な受験生の母のタワゴトですけれどね。
あっ……もう寝なきゃ。